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大泊村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大泊村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大泊村(近世) 江戸期~明治10年の村名羽茂【はもち】郡のうち佐渡ケ島南西部の海岸沿い幕府領村高は,「天保郷帳」137石余元禄7年検地帳では田6町余・畑9町余当村の草分けは福永・清水・仲間・猪股の4家と伝え,蛸石の権利を独占し,小物成として大蛸3頭分を銀納した「巡村記」では,天保12年の家数18・人数127,高137石余,田5町余・畑9町余,取米42石余,羽黒権現があるなお,出羽国羽黒の祭神が当村への渡海中,船底に穴があいたが蚫が穴をふさいで無事到着したとの伝承により,蚫を食べないとの禁忌がある明治10年三瀬村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大泊村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」